【コラム】望まない環境で幸福はない?

写真の説明はありません。こんにちは、じぶんじくのKouです。

今日は「望まない環境に置かれた場合」について書いてみたいと思います。

この記事で分かることは?

”今ここに自分がいる環境は自分のいるべき場所じゃない”

”なぜ自分ばかりこんなに苦しい環境なのか”

”なんとかしてここから逃げ出したい”

 

このようなことを考えたことも一度はあるのではないでしょうか?よい環境に身を置きたいと思っていても、環境というのは必ずしも自分で選べる訳ではないかもしれません。

このような望まない環境下において人はどのように生きていけばいいのでしょうか。そんなことを少し考えてみたいと思います。

 

環境が恵まれなければ幸せになれない?

あなたは満足のいく環境に身を置いてますか?Yesと答えられた方、おめでとうございます!本当に素晴らしいことです。Noと答えられた方、辛い日々を送っているのではないかと想像します。

さて、少なからず人は幸福を求めるものではないかと思っています。人間平等だなんて言ったところで環境の違いは圧倒的に違います。

では環境が恵まれない人は幸せになれないのでしょうか?私はそこはNo!と言いたいです。

本当の幸福とは?

私は26歳の時、教育系のNPOに参加をしてカンボジアに行ったことがあります。当時の私は”ボランティア精神”をもって、恵まれた日本という国に暮らす自分が先進国という貧しい国に何かをしたい!と考えて向いました。

カンボジアポルポト政権の際に大量に虐殺をされた耳を覆いたくなるような経験がある国です。また地雷原も数多くあるので、安全とも言えない場所が多数あります。

また私が訪問したエリアは電気やガス、水道といったインフラが整っていないエリアで学習のための鉛筆やノートすらままならない程でした。ところが私は別のことでとても驚いたのです。それがこの写真です。

写真の説明はありません。

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どうですか?とても素敵で真っすぐな笑顔ですよね。

私がここで感じたのは日本は物質的に裕福な国ですが精神的に裕福とは言えない。そしてカンボジアは物質的には裕福ではありませんが精神的には裕福であると言う事です。

明日は絶対に今日よりも良くなると信じて疑わない目をしていたのです。本当に愕然としたのと同時にすごく質の良いエネルギーをもらって帰ってきました。

幸福とは自ら創り出すもの

つまり私が言いたかったことは「環境は必ずしも選ぶことはできないが、幸福は自分で創りだすことができる」ということです。

つい最近「夜と霧」を読みました。アウシュビッツ収容所での生々しい経験を精神科医が一人の囚人目線で書いたベストセラーです。ここでは内容には触れませんが、いつ死んでしまうかわからない極限状態のなかでも、微かな幸福を人間は見つけられる、創り出すことができる、そのようなことが書いてありました。

 

 

環境は自分だけの力ではすぐに変えることはできなくても、そこで何を選択して感じるかは自分次第だということです。

少しでも幸せになりたい、そう考えている方は、人や環境を変えるのではなく、まず自分自身の解釈を変えることからチャレンジしてみてくださいね。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

過去から学び、未来を見据えて、現在を楽に生きていきましょう!