判断はその人の「大切にしていること」の現れ

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こんにちは、じぶんじくのKouです。

今日は「人の判断」について書いてみたいと思います。

 

 

生きていると、「ルール」が決まっていない状況はほとんどないのではないかと思います。

家庭、学校、会社、社会、法律、遊びにまでルールが設けられています。

ルールがなければ、皆がみな好き勝手にやりたい事をやるだけなので、その場をまとめるためにルールがあるのです。

秩序を乱さないためにも、ルールは必要ということですね。

 

一方で、ルールがあるからこその息苦しさを感じることはありませんか?

先日、後輩Aさんがこんなことを言っていました。

 

月曜日出社に関しての考え方の違い

Kouさん、Bさんと話してたのですが、来月のシフトを決める時、ルール上問題ないから毎週月曜日休むっていうんですよ!私達の仕事って、週明けの月曜日が忙しいから出るようにしてるのに、毎回Aさんばっかり休んでてずるくないですか?!

 

前提として、シフトのルールには、「月曜日は●名以上出社していれば良い」と書かれていました。

Bさんの主張としては、「他の人が出社にしていることを確認して、●名以上いるから私は休みにしてるんです。つまり、ルールに従っているから私は悪くありません!」

 

まあ、確かに。。。

どちらの言い分もわかる気がしますよね。

 

周囲のことを考えて率先して月曜日出社してくれている後輩のAさん。

ルール上は問題ないから休みにしているBさん。

 

ルール or 周りへの配慮

この話しを聞いた時に2つのことを考えました。

 

  1. ルールが良くないのではないか?
  2. 休む人も、月曜日に出社している人の気持ちを考えた方がいいのでは?

 

これはどちらが正しいのでしょうか?

 

私の見解としては、どちらも正しいと思います。あくまで、その人の観点によって答えが変わってくるのだと思っています。

 

1はBさんの主張であって、2はAさんの主張。

AさんとBさんは、それぞれ異なる原体験を持っているので、「大切にしていること」が違うのです。

 

「決められたことに忠実にすること」が正しいと信じているBさん、「人の気持ちを汲んで配慮すること」が正しいと信じているAさん、ということになります。

 

人の判断はその人の「大切にしていること」の表れ

つまりはどちらが良い悪いではなく、大切にしていることが違うだけなのではないでしょうか?(もちろん状況によって、より良い答えは異なるということはありますが…)

 

仮に、私がAさんBさんの上司だとして、どちらかの意見を選ぶとしても、それは私の大切にしているテーマに従って判断しているに過ぎません。

 

皆さんはどう考えますか?

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

過去から学び、未来を見据えて、現在を懸命に生きていきましょう!